愛おしすぎる人生劇場

query_builder 2021/05/13
ブログ
赤花②

過去の経験は、

書き換えられる というお話し。          





過去に起こった出来事は、

変えられないけれども、




それをどう解釈するかは、

自分で 変えられる。          




過去に起こった出来事に対して、

自分がそれを どう捉えなおすかで、      

これからの 自分に対する信頼度は、      

ぐっと変わってきます。          






その時は、 どうにも大変な出来事だったかもしれない。      

けれども、 改めて、 少し先に進んだ自分から、      

その出来事を思い返してみる。        









その出来事にどんな意味があったのか。          






そうやって、 自分のこれまでの人生を再構成する。      

そうやって、過去の執着を手放せた時、        

私たちは、また新しい自分への扉を 開けることができるのかもしれません。            










今から、 16年前、 大病を患いました。    

病名は、ありませんでした。          





何が原因だったのか、 分かりませんでした。          





急に、右半身が利かなくなり、

思うように、右手や右足がつかえなくなりました。            










MRIで検査してもらったところ、 脳腫瘍だと。    

言われました。    






しかしながら、 それ以上詳しいことは、

実際に、頭を開いて その病変していると思われる部分の組織を

取って調べてみないと分からないと言われました。          








私の意思で というよりも、 家族の意思で、

頭を開くことは選択しませんでした。          






その時点で、 家族には、

余命宣告までされていたのですから。        








私も、家族の雰囲気から、

自分はただことではない病気にかかってしまったのだと    

察していました。        






もちろん、 セカンドオピニオンで、 脳外科で有名な病院を回りました。        

そこでも、 MRIの画像での判断は、 脳腫瘍、余命半年。    









それが、私に突き付けられた、 現実でした。      

検査入院していたものの、

それ以上、治療としてやることがないので、      






私は、 妻の実家に戻りました。    

当時、 結婚したばかり、

妻は、看護学生だったので、

妻の実家にお世話になりながら、

生活をしていました。      






マスオさんだったわけです。        





仕事も休んで、

ある意味、

のんびり過ごすことができました。      









幸い、 右半身の利きにくさはありましたが、

痛みを感じることはなかったので、        

ゆっくりとした 時間の流れの中で、

体を休めることができていました。          









自然と、 心は落ち着いていました。      

今振り返ってみると、

辛い気持ちは切り離していたのかもしれません。        








考えたって、どうにかなるもんじゃない。

どこか、妙に冷静な自分がいました。            








一方で、 ありがたいことに、

私の回りにいる人たちは、  

穏やかではありません。    






とても、心配してくれていました。          






特に、両親は、 ありとあらゆる

癌に効くものを 私に与えてくれました。            






癌を治したというお坊さんから

お祓いをしてもらったり、  



癌に効くというサプリを

通常飲む量の数倍を飲んだらいいとか。            









ありとあらゆるものが、

私の身体に投与されたのです。        




私は、 それが効くのかどうかではなく、

それだけ、 皆が心配してくれていることに感謝しながら、

それを言われるがまま、飲み込み続け、

ありがたい光に身をまかせていました。            








ある日、 一度飲み込んだサプリの量と味に

吐き気をもよおし、    



勢いよく、 飲み込んだものが、

逆流してきました。        






吐き出されたサプリは、

カプセルが、

完全にまだ溶け切っておらず、    

中身が半分見えるものもありました。            







それを 見た時に、 こう思ったのです。          

生きるって何だろう。          






生きることが、

とても醜い事のように 感じてしまったのです。          






あの時、 私は、 周りの不安を 飲み込むために、

お坊さんの光を浴び、 サプリを大量に飲み込み、    

それで、 少しでも、 周りの不安が消えるように、

私は言われるがまま、

そこでもなお、

周りの期待に応え続ける自分に気付きました。      









周りが不安を懸命に堪えているのは

すごく、すごく感じていました。








涙を見せないように、気丈にふるまってくれていました。      







でも、 本当は、 一緒に泣きたかった。      

ただ、 どうすることもできない 突き付けられた現実を 一緒に味わって欲しかった。        








生きることを 諦めていたわけではないけれど、      

突き付けられた現実に 身を委ねるしかないのだと

その時は思っていました。      








今できることをやる。      








それが、私の支えでした。  

家族の協力もあって、

病気を抱えながら、

臨床心理士の試験を受け、

合格をすることができました。          








それが、あの時、私にできる 私を大事にすることだったし、

周りへの感謝に応える行動だったと思っています。                    









そして、今。 私は、生きています。      


あれは、奇跡だったのではなく、

今ブログを書くための、伏線に過ぎなかった。      





今私が出会う人や思考、物 これらに、

出会うために必要な体験だったのだと思います。      








そう、特別なことは何もなかったのです。    



愛しき嘘の人生劇場。

人の気持ちが作りだした愛おしすぎる嘘。        









そうやって、今日も私は生かされています。    




今日も、最後まで読んで頂き

ありがとうございました!

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